はじめに
兵庫医科大学病院の榎さんからバトンを頂きました、神戸大学医学部附属病院の吉田直碁(よしだなおき)と申します。榎さんとは日本放射線技術学会近畿支部の委員会やMRIの勉強会、ユーザー会で大変お世話になっており、敬愛するアニキのような存在です。
MRIの音を聞いただけで何のシーケンスか言い当てるような人たちのバトンを受け取れたことを光栄に思います。
自己紹介
私は大阪出身で京都医療科学大学を2011年に卒業し、神戸大学医学部附属病院に入職しました。技師歴は13年になります。初期のローテーションの後、放射線治療を2年担当し、その後現在に至るまでMRIに8年従事しています。
【趣味】
年中:フットサル、ロードバイク、アコースティックギター
夏:スキンダイビング、スキューバダイビング
冬:スノーボード
と道具に家の居住スペースを侵食されながらも続けています。




MRIとの出会い
MRIとの出会いは学生時代の授業でした。当時MRI検査を受けたこともなかったので、そんな機械があることすら知らない状態からのスタートです。謎の矢印を回転させて再収束させるよくわからない理論を一生懸命勉強していたことを覚えています。しかし、私の中では『意味がわからないことの方がおもしろい。』という欲望に駆られていました。
就職後、ずっとMRI配属の希望を出し続けましたが、それが叶うまでに5年を要しました。この5年を無駄にしたくないと、配属された部署の勉強はもちろんですが、合わせてMRIの勉強も始めました。臨床的な内容の研究会は聞いても理解できないため、原理のみを追求しました。そんな中、『MRIの基本読書会』というMRIパワーテキストをみんなで順番に音読するという大変シュールな研究会を発見し、自分にピッタリだと通い詰めました。先輩から「MRIの勉強している暇があったら担当している部署の勉強をしろ!」ときつく言われたこともありましたが、無視しました。
その後、MRIに配属され、T1WとT2Wを見分けることすらできない状態で夢のMRIライフが始まりました。しかし、先輩からは怒号の嵐、仕事ができないことを何度も指摘されました。『つらい。。。つらすぎる。。全員見返してやる!!』そんな気持ちでがんばりました。
普通に撮像していても「ルーチン通り撮るな!ルーチンなんてあってないようなものと思え!」と言われ、『じゃあ、この置いてあるシーケンスはなんやねん。。。求めるレベル高すぎやろ』と絶望したことが今も忘れられません。しかし、その頃から長い年月がたった現在はその先輩の言葉が胸に沁みます。『確かにルーチンなんてない』患者さんの状態や目的に応じて検査時間、画質、シーケンスの数というのは変わり、その患者さんにとってベストの画質は変化することがわかりました。知識を増やせば増やすほど様々な状況に対応できるようになり、検査前の着替え案内時の患者さんとのコミュニケーションで検査プランが頭に浮かぶようになりました。
自信がつき始め、心臓の検査を担当した際に、角度の設定がわからなかった時、放射線科医に「そんなレベルで心臓MRIをしないでほしい。ダメだよ君」と言われ、泣きました。そこからさらに勉強をして技術をつけ、今では心臓MRIのエースとして脳汁を垂らしながら担当させていただいております。
2022年に沖縄県の琉球大学病院に人事交流として1年間行くこととなり、MRIで憧れている人ランキング1位の青山技師長の元で働くこととなりました。言わずと知れたお酒好きなので、ほぼ毎週居酒屋でMRI談議をさせてもらい、世はディープラーニング再構成と言っている中、RFパルスや傾斜磁場、T1回復やT2減衰、フーリエ変換などある意味ディープなラーニングをさせていただきました。

まとまりのない文章でしたが、最後に私の数ある座右の銘の一部をご紹介します。
「現状維持が1番ダメ」常にチャレンジャーでいること。
「何事もほどほどが1番」MRIにおいてもパラメータのバランスが大事。
「MR愛」MRIを常に愛し装置から愛されること。
を胸に今後も趣味と両立させながらONとOFFでがんばっていきたいと思います。
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