題名:『楽しみたいんです。(カタルシスへの道)』
山村師匠からご紹介いただきました、高津安男と申します。
大阪赤十字病院 放射線診断科部 第一課 課長としてMRI室に勤務しています。また、現在、金沢大学大学院医薬保健学総合研究科保健学専攻の博士後期課程の2年目に入りました。いつも何かに追われているような生活が続いています。この喧噪の中、色々なことに携われるのはサポートしていただける大勢の方々がおられるからです。いつも本当に感謝しています。
趣味(?)
はたして趣味と言えるかどうかわかりませんので、「好きなこと」としておきます。
元々漫画家志望だったこともあって、中学・高校、技師学校を出て就職してもずっと漫画を描き続けてきました。同人誌として書店の棚に並んだこともありましたが、結局出版社に持ち込むことはありませんでした。
そのうち、描く時間の余裕がなくなりました。しかし、物語を作ることは昔から好きだったので、いつかはやろうと思いながら忙しい毎日を過ごしていました。でも、なかなかまとまった時間がとれないので思うように進みません。そこで発想を変えて、小説なら余暇に書きやすいのでは、となんとなく考えていました。時は過ぎて行き、小説もなかなか着手できませんでした。しかし、それは意外な形で実現することになりました。
スキーが大好きな私はシーズンになると頻繁にあちこちの雪山を訪れていました。ある年、こぶ斜面で膝痛めたかな?と思っていると、しばらくしてロックしました。膝のMRI検査ではSTIRで高信号!骨挫傷!?。整形外科医に相談すると、半月板および軟骨損傷と診断され、半月板切除・軟骨移植術(モザイクプラスティー)と二回手術し、しばらく歩けずにまさに這って生活していました。2-3か月ほど病欠。精神的に鬱になりそうなとき、「今だ」と思い、漫画にする予定だった自分の作品を小説化しました。できたことに満足して、やはりどこの出版社にも持ち込むことなく、興味を示された知り合い数人に読んでもらっただけでした。いっそ英文化しよう、と取り組んだままで放置しています。
英語との出会いは、30歳くらいの時、赤十字の海外派遣要員に登録したことでした。赤十字は国際組織。海外で仕事ができるチャンスなどなかなかないので興味がありました。しかし、そのためには他国のスタッフとディスカッションできる英語レベルになる必要がありました。加えて、TOEICスコアも伸ばさねばなりません。そのため必死に勉強している時期がありました。何においても中途半端な私は、結局もう少しというところで800点の壁を超えることはできませんでした。今ではもっと落ちていると思いますが、これからは単に楽しもうと考え、英会話の学校には一応通っています。かといって大した英語力があるわけではありません。これはそんなに好きなことではないのかもしれません。
音楽を始めたのは16歳でした。クラシックギターでフォークソングを奏でていました。しかし、それ以上にのめりこんだのはドラムスでした。ドラマーとして、これまでにも数々のバンドとセッションしました。最も忙しかった時期で、最大7バンド掛け持ちして様々なジャンルのものを演ってました。もちろんステージもこなしていました。今から考えるとよくやってたと思います。10年ほどのブランク後再びオファーがあり、現在は日本放射線技術学会の重鎮が何人もおられるバンドに関わらせていただいています。みなさんセンスがよくて大変楽しいです。20-30代には作曲活動もやっていて、当時シーケンサーやMTRで多重録音していました。バンドのコピーを演るときも、いつも完全コピーではなくオリジナリティを出すように、個人的な解釈を入れてアレンジしています。自分が楽しめるようにいつも考えています。
しかし、私の同僚や後輩は、「趣味」の話になると、声を合わせて「高津さんの趣味はMRIでしょ?」と言います。どういうことでしょうかね。。。
MRIとの出会い
生まれて初めて使った装置は東芝のMRT-200 1.5T。マウス操作ではなくトラックボールで、キーでコマンドを打って使用していました。もちろん、高速スピンエコーもパラレルイメージングもできません。そのうち東芝VISART HYPER 1.5Tに入れ替えされ、MRI担当になりました。でも、MRIのことはさっぱりわからず、いつも何故こうなるのか、どうしてそうするのか、など疑問でイライラしていました。最初の学術発表はダイナミックのタイミングを適切にするためのtest injectionの方法でした。当時目新しかったSPEEDやFBIの応用に関しても報告しました。現在はPhilips Achieva 1.5T, Intera-Achieva 1.5T, GE Signa Excite Echo speed plus 1.5Tを使用しています。自分が疑問になっていることで、文献にないことは、やってみるしかないと考えて、腰を据えて研究を始めることとしました。私の初めての論文は2010年です。かなり年齢がたってからのスタートです。現在の若い方々が頑張っておられるのを見ると、本当に素晴らしいと思うと同時にうらやましいです。実は生まれて初めての論文化は3Dのグラジエントエコーでk空間充填配列を変えて、造影タイミングを変化させることによるアーチファクトを検討したものですが、これより先に論文にしていたものがありました。それは温度の変化による信号変化を検証したものです。掲載されたのはアーチファクトのものより後ですが、この研究が私のMRIにおける研究を大きく左右するものとなりました。
何が左右したのか。現在の私がある、大きな理由がここにあります。それはサポートしていただける方々がおられたことです。困ったときに協力していただける機会を得られることは本当に貴重です。他力本願ということではなく、人と人とのつながりがあるからこそ、いいものができると思っています。一人だけでは何事も限界があります。周囲に相談ができ、尊敬に値する方々がいる環境というものは素晴らしい事です。Stanford大学での研修に参加した際、一つの研究をするために、多くのスペシャリストが横一列になってそれぞれ自分の分野のデータ取得・解析を行い、協力していることに感銘を受けました。まさに、これだと思いました。もちろん、研究は簡単なことではありません。苦労を知るからこそ、協力いただけるし、またこちらも協力できるのではないでしょうか。皆様、ありがとうございます。いつも感謝しております。ちなみに、ご紹介いただいた、山村さんは私の師匠です。本当に面倒見のよい方で、公私ともにいつもお世話になっております。
また、実験にはファントムが必要、と様々なファントムを作りました。まさにファントム職人(?)みたいです。機械室やマグネットルームはいつも自作ファントムだらけです(スタッフから苦情が出ることも、、)。少し変わったタイプのファントムとして、脂肪抑制ムラを起こしやすい乳房モデルがあります。
あとがき
最後に、私のモットーとして、研究や論文は必ず複数の別のものを同時に進行させるようにしています。(これは正しい研究姿勢ではないかもしれませんので推奨できるものではありません。)技師として活動できる時間が残り少ないという焦りからということもありますが、複数の研究を進行させることで、相乗効果でそれぞれが生きてくると思ってます。巨匠・手塚治虫は、いつも必ず全くジャンルの異なる漫画を同時進行させて描く、と言っていました。理由はカタルシス*になるからだそうです。私も、もしかすると無意識にそう感じていたのかもしれません。
*「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」「心の中にあるわだかまりが何かのきっかけで一気に解消すること」
なんだか長々と偉そうなことを書いてきました。全くおこがましい限りです。今、自分を見つめなおすと、漫画・小説・作曲・演奏・研究・論文、なんだかバラバラですが、共通点があるかもしれません。それはオリジナリティの追及なのかもしれませんが、恐らく、自分が主張したいことを形にしておきたい、というエゴにも似た思いが根底にあるのではないでしょうか。お恥ずかしい次第ですが、人の生き方は簡単に変えられるものではなく、これからも技師としてあと約10年程度しかない焦りを感じながら生きていくと思います。でも極力、楽しんでいきたいです。拙い文面をお読みいただきありがとうございました。
次の人は・・・
次は、私の最初の研究・論文のサポートをしていただき、多くの著名な研究者との交流のきっかけとなった方、市立堺病院の木村哲哉さんにバトンをわたします。
コメント
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コメント (1)
HI
I am interesting about the breast FS non homogenous topic .
please share more information . and is it test on GE or Siemens ?
私は胸のFS非均質なトピックについての興味深いです。
より多くの情報を共有してください。そして、それがGEやシーメンスでテストのですか?
BR
Lillian
mh0826@gmail.com
Taiwan