自己紹介
高橋さんよりご紹介いただきました、”ふみぽん”こと石森文朗(いしもりふみお)と申します。“ふみぽん”の由来は、私が最初に契約したプロバイダ(so-net)でメルアドを取得する際、”fumio”のアカウントがすでに使われており、やむなく”fumipon”を使ったのが始まりで、その後映像情報メディカルで連載を書くことになり、当時の荒木編集長に「ふみぽんが行く」という表題を付けられた事で、そのまま通称となってしまいました。
出身は宮城県仙台市で、いまは茨城県日立市(日立製作所発祥の地)に妻と子供3人、ネコ9匹が一緒に暮らしてます。趣味はピアノやエレキベースの演奏(最近ほとんどやってませんが)、読書、ネット探索、鉄道(主に乗り鉄と時刻表鉄)です。
私とMRI
私が東北大学医療短大を卒業した頃(1992年)は、MRIがあまり普及してなくて、宮城県内には超電導MRI装置が5台しかありませんでした。最初の就職先(仙台東脳神経外科病院)にはその中の1台、RESONA – 0.5T(GE)がありました。
1986年製造のRESONAは、GEYMSが発売した初代の超電導型0.5T装置で「Signaのハイテク機能を、CTクラスの省スペースに実装」が売り文句でした。呼吸同期と脈波同期、SAT、No phase wrap、flow compensationなど、当時としては最新のオプションが実装されており、MRAは2D-PCのみ撮影可能でした。FSEがないのでT2WIとPDIを”VE”というシーケンスを使って12分かけて撮ってました。外部記憶装置はいまは絶滅した14インチMOD(当時、1枚5万円もしました)。
1996年にSigna Contour- 0.5T(GE)がRESONAと置き換わります。この装置が最初に設置されたのは慶応大病院で、仙台東脳神経外科病院は5台目あたり?と記憶してます。Signa Contourは純粋なGE製装置でしたが、RESONAやVECTRAで培われたGEYMSの技術がフィードバックされていると聞いてます。RESONAはトラックボールでしたが、この装置から「マウス」が使えるようになりました。操作キャビネットは、大画面CRTとマウスのみです(現在では当たり前ですが)。
1997年に現在の勤務先(聖麗メモリアル病院)に移りまして、しばらく使っていたのは日立の永久磁石型MRI装置2台(“MRP-20 – 0.2T”と“MRP7000AD – 0.3T”)です。低磁場装置ですが、スキャン時間が長いという欠点に目をつぶれば、診断に際しての十分な画質は得られ、検査室内に点滴棒やベッド(!)を持ち込んでも吸引される心配がないので、安全性という観点からは良い装置でした。MRP-20の外部記憶媒体は8インチのFDで、1枚に2画像しか保存できません。
2002年にSigna Excite- 1.5T(GE)がMRP-20と入れ替わります。この装置は2008年にSigna HDx、2013年にSigna HDxt V.23にアップグレードしてますが、ガントリは19年経過した現在(2021年)も現役です。2014年2月には、グラジェントコイルが破損するという珍しい出来事に遭遇しました。実はこのガントリ、累計10万人以上を撮ってますので、いままで壊れなかったのが不思議なくらいです。
2005年には、Intera 1.5T(Philips)が現在の脳ドックセンターに設置されましたが、2014年にSigna HDxt V.23に更新されました。つまり当院には2台のSigna HDxtが稼働していることになります。
脳神経外科病院に来る患者さんは、搬送から診断、治療に至るまで一刻一秒を争う患者さんが大半で、意識や全身状態が悪い患者さんも多いので「いかに短時間で効率よく」必要な情報を得るかが重要となってます。そのため、画質を犠牲にしてでも効率を最優先させてます。高橋さんの「こだわり」とは真逆ですね(^_^;)
次の人は・・
「RADっていいとも」次回の担当は、山形県立新庄病院の蛸井邦宏さんです。蛸井さんは、私と同級生の斉藤貴憲さん(仙台総合放射線クリニック)が、GE社員時代に主催していた「東日本Signaメーリングリスト」でお知り合いになり、その後このメーリングリストが廃止になる際、蛸井さんと私で一緒にFacebook MR研究会を立ち上げました。私とは同じ東北人でウマが合い、MR学会では一緒に「飲み会→ラーメン」というコースが定番になりつつあります。ラーメンと温泉が大好きな蛸井さん、よろしくお願いします(^^)/
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