「平成の年号とともに」
・自己紹介文
公立黒川病院の石森靖朗と申します。「ふみぽんこと石森文朗の兄でございます」と自己紹介するたびに必ず「あっ、あの(・・)ふみぽんさんのお兄様ですか!」と言っていただきます(笑)
私の職場は、杜の都仙台から更に20Kmほど北の穀倉地帯に立地し、1市2町1村の地域医療を担っております。病床数は一般・地域包括・回復期リハあわせて170床、技師は5名(男性3、女性2)、モダリティーは一般撮影(FPD・2室)・透視・マンモ・骨密度・CT(80列)・MRI(1.5T)・ポータブル・術中イメージといった具合です。
・MRIと私
当院のMRIは2006年に初めて導入されました。ちょうどその頃、公立公営から公立民営へと経営の舵を切る時期とも重なり、私としても仕事に対する取り組み方が大きく変革するきっかけともなった時期です。私が入職したのは平成元年ですが、公立公営の頃はホントに「親方日の丸」最悪のお手本のような職場でした。縦のものを横にもしないとはよく言ったもので、何か新しいものに取り組もう、とでも提案しようものなら、あからさまに「一体何を言ってくれるんだ?」という表情で一蹴(笑)。かれこれ20年近く炭焼き小屋のような技師生活を過ごしておりましたが、おかげさまでと言うべきか、その一方で自分の趣味の世界に没頭し、有意義な期間であったのも、また事実です(後述)。
初期のMRIですが、東日本大震災の被災により電磁シールドが一部損傷し、老朽化も目立つようになったため、昨年更新となりました。近年の機器選定プロセスには、放射線室として積極的に参画することを許されており、ある程度我々の希望を反映することが可能です。反面、各診療科の医師とベンダーの間で何度もすり合わせ作業を行う必要があり、かなりくたびれるのも事実。各科医師からのヒアリングによって装置に求めたい性能について洗い出し、これをもとにメーカー担当者と交渉、これを繰り返して後半はプレゼンテーションの開催。それに加えてメンテナンス費用など、ライフサイクルでのトータルコストも含めた提案を依頼、といった具合です。最終的にはプロポーザル方式による機器選考委員会会議を経て、シーメンス社製・Sempra(1.5T)の採用となりました。
放射線科医の在籍経験がなく、一部画像を遠隔読影に大きく依存している当院にとって、そもそも最新の検査技術を求められる場面は限られており、「こんな画像もつくれます」的に医師にプレゼンテーションしてはみるものの、あまり食いついてもらえないのも事実。肝腫瘍のスクリーニングであるEOBプリモビストですら、オーダーが全く伸びていない現状だったりします。従って新しい装置にもあまり高度な要求は無かったのですが、DWIBSについては外科・泌尿器科から外せない性能として指定があり、腹部検査の呼吸同期、体動補正技術については各科から旧装置に対する不満が噴出(汗)。Sempraへの更新から1年が経過しましたが、これまでのところ全科から好評価を受けることが出来ており、取り敢えずはホッと胸を撫で下ろす今日このごろです。
・ラテンピアノ弾きとしての私
元々学生時代から弟ともバンドを組んだりした時期もありましたが、自分のリーダーグループは最終的に弟の転勤を区切りとして解散。2年ほどの活動停止を経て、以前から親交のあった東北初の本格的サルサバンドの「サルサ2号」に1998年から参加。当初シンセサイザ中心のサブ・キーボーディストでしたが、2001年、第3期ピアニストの転勤により私が第4期を務めることに。これまで仙台の風物詩「定禅寺ストリートジャズ・フェスティバル」や宇都宮のラテンイベント「ミヤでサルサ」に毎年出演。昨年は原宿クロコダイル「SALSA DE DANCIN’2017~3都市サルサ対決~」も盛況に終えることが出来ました。次第に寄る年波を感じながら、しかし演奏できる喜びと、毎回楽しみに聞き、あるいは踊りに訪れてくれる方々のために、まだまだ続けていきたいと思っています。
・次の方は…
医療法人松田会、松田病院の佐竹直也さんです。弟のふみぽんとは高校の同級生であり、毎回お会いするたび「お兄さん、お兄さん」と親しくお声を掛けていただきます。地元宮城での勉強会でしばしばお会いするほか、酒の席をご一緒することも多く、いつも仕事とは離れた他愛もない話で盛り上がっています。最近は医療経営のほうにお仕事がシフトしておられ、そのあたりのお話も楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。
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