題名 MRIと向き合って10年目
自己紹介の前に、私の勤務する箕面市立病院(みのおしりつびょういん)の紹介をさせていただきます。箕面市は大阪府北部に位置し、緑豊かでありながら10km圏内に新大阪駅や伊丹空港、高速道路があり広域交通の利便性が高く、東洋経済新報社が発行する「都市データパック2015年度版・住みよさランキング」において、4年連続で大阪府内1位に選ばれました。当院は317床・放射線技師13名の総合病院で、病床稼働率もここ数年間は90%以上をキープしており、公立病院の中ではまだ健全な経営をしているようです。
自己紹介
1973年滋賀県大津市生まれ。父親も放射線技師をしておりました。幼い頃遊びに行った父の職場は、とても重たいドアで遮られた色々な薬品の臭いがする部屋の一室でした。そこには機械がたくさん置いてあり、とても眩しく光るガラスの壁に掛けられた写真を見せてもらった思い出があります。当時父の仕事が何であるか見当がつきませんでしたが、その働く姿は私の進路へ大きな影響を与えました。1992年、鈴鹿医療科学技術大学へ進学し、卒業後箕面市立病院 中央放射線部へ入職しました。今年で勤続20年目となります。
趣味
趣味はバイクです!と言えばカッコいいのですが、現在は主に通勤専用となっています。写真は学生の頃乗っていたSUZUKI RGV 250ガンマというレーサーレプリカです。水冷2ストロークVツインエンジンの燃費は8km/L以下、回転数は8000rpmくらいを保たないとすぐにプラグがかぶってしまうようなバイクでした。
MRIと向き合うようになったきっかけ
私が入職した1996年にシーメンス社のVISIONが導入されましたが、業務に使用していただけでVISIONでは何の研究もしていません。私の人生の転機は2006年の8月、セミノーマと診断された時です。しばらくはひどく落ち込みましたが、この後の人生についてあれこれ考える大きなきっかけとなりました。大学の同期生には優秀な人が多く、その中でも特に優秀な二人が私と同じゼミの仲間でした。彼らの名前は広く知られており、数々の業績を残しています。彼らの携わっているMRIという分野で自分も何か残せることはないか、そんな思いから始めたのが磁気共鳴専門技術者認定試験の受験でした。
MRIと向き合った10年間
2009年4月、合格と同時に当院ではVISONの更新が行われ、GE社のSigna HDxt 3.0Tが導入されました。当時の3.0T MRIは様々な問題を抱えていましたが、当院ではその3.0T一台で運用するという暴挙?に出たのでした。まだMulti Transmitと呼ばれるRF送信技術は搭載されていませんでしたが、Signa HDxtは我々の期待に応えてくれました。もちろん多量の腹水や巨大卵巣腫瘍には苦労を強いられたものの、心臓を除く全領域を一台でカバーすることが出来たのはこの装置のお陰だと思います。この頃3.0Tだけでの運用というのは全国的にみて珍しかったことや、磁気共鳴専門技術者の数が少なかったこともあいまって、MRIの講演や専門学校での非常勤講師の依頼を頂くことになりました。経験があるわけでもなく、棚ボタのように舞い込んできた依頼でしたが、無謀にも全て引き受けてしまいました。MRIと真剣に向き合い始めてたった3年足らずの人間に何ができるのかわかりませんでしたが、皆さんが満足してもらえるようにと必死で取り組みました。これは自分の知識の無さを隠すためでもあった訳ですが、これらの経験は今の私の礎となっています。3.0Tが導入されてから4年後、PHILIPS Ingenia 1.5Tが追加導入されました。この装置では改めて1.5T MRI装置の良さとMRIの奥深さに触れることができ、自発的な研究に取り組む毎日です。
最後に私の後輩を紹介します。彼らは今年の磁気共鳴専門技術者認定試験に揃って合格してくれました。私と違って彼らは早く気づいてくれたのだと、この10年間の中で一番嬉しい出来事でした。
次の方は
大阪市立大学病院 木村大輔さんです。木村さんとはMRIの勉強会でご一緒してからの仲で、私と違い早くからMRIに取り組んでおられる大変優秀な方です。木村さんとはひと回りほど年齢が離れていますが、学会場だけでなく宴席でも楽しい彼の人間性に惚れ込んでいます。では木村さんよろしくお願いします。
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