はじめに
関東中央病院の坂井さんよりバトンを頂きました、日本大学病院の安藤千知と申します。坂井さんとは勉強会のお仕事をご一緒させていただいているご縁で、このような貴重な機会を頂戴しました。ペンリレーはいつも楽しく拝見させていただいているのですが、いざ自分が書くとなると怖気づいてしまい、全く文章がはかどりません。
病院紹介
日本大学病院はお茶の水駅から程近い場所に位置し、周囲は大学と病院と楽器屋さんで溢れています。周囲には病院が沢山あるのですが、驚くことに千代田区で三次救急があるのは当院のみで、千代田区の救命を支えている(言いすぎ感は否めませんが…)病院となっております。健診センターも併設されており、健常者の病気の予防から一刻を争う救命業務まで幅広く行っています。当院はPhilips社製1.5T、3.0T2台のMRIを保有しており、放射線科の先生方と臨床に役立つ画像提供を目標に日々業務に励んでいます。
自己紹介
東京都立保健科学大学(現・東京都立大学)卒業後に日本大学職員となり、日本大学医学部付属練馬光が丘病院に配属となりました。残念ながら2012年に閉院となりましたが、この際に多くの患者さんから感謝され、閉院を惜しんでいただき、病院に対する思いはスタッフも患者さんも同じであることを知りました。病院はスタッフだけではなく、患者さんと共に成り立っていたのだと強く感じることができ、私にとってこの経験は大きなものとなりました。現在は日本大学病院に配属となり、MRI、健診センター、放射線治療などの様々な部門を担当し、幅広く経験を積ませていただいています。
MRIと私
学生の頃はMRIの勉強が大嫌いで、勉強を殆どしてきませんでした。前病院にてMMG装置をMRI装置のある別棟に移設することとなり、この2つを担当するために配属されたのがMRIとの出会いです。当時はTOSHIBA(現:Canon)社製のVisartとOpartというとても古い装置が稼働しており、DWIやMRAも満足には撮像できない機種でした。乳房のDynamic撮像を行う際には、脂肪抑制がかからず何度もシーケンスの調整したり、時にはポジショニングまでやり直して撮像していました。学生時代に実習先で見ていたMRI装置とのギャップに驚愕したのを覚えています。
私がMRIの勉強や研究を始めたのは数年前ととても遅く、放射線科に新たな教授が赴任してきたのがきっかけでした。それまでは認定を取って満足していました。私は一人では何も決められない・進められないタイプで、MRIの研究を始めることが出来たのも、研究・発表・論文という一連の流れを手探り状態ですが完遂できたのも、放射線科の教授の喝とMRIスタッフの協力のお陰です。
いつも様々な場面で周りの方々から良い影響を受け、アドバイスを頂けたことで、何の力もない自分でも少しずつですが前に進むことが出来ました。出会いは本当に宝で、今の自分があるのは周りの方々のお陰です。感謝してもしきれないほどです。
これから
まだまだ勉強不足でわからない事ばかりですが、これからも勉強・研究を続けていきたいと思います。勉強・研究をこれから始めるという方、ぜひぜひ学会や研究会等でみかけたらお声がけください。“MRI難しくてわからないよね。頑張らないとだね” とお酒飲みながら一緒にぼやきたいです。そして、今お付き合いいただいている方々のお役に少しでも立てるよう頑張っていきたいと思いますので、今後とも何卒宜しくお願い致します。
拙い文章を最後までお読みいただきありがとうございました。
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