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RADっていいとも 素敵な仲間とのペンリレー (12) 土`井 司
- 2015/2/21
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題名:『MRIをこよなく愛するみなさまへ -私の今昔物語-』
自己紹介 大阪大学医学部附属病院 土`井 司です。
MRIをこよなく愛する皆さま「こんにちわ」。
MRIに携わって30年になります。ちょっと昔話をさせてください。私がこの世界に入って最初に取り扱った装置は、今や幻のPICKER社の1.5T装置でした。あの当時PICER社の装置を選んだのには、Inversion Recovery(IR)法とGradient echo法(ピッカーではField echo法と呼んでいた)ができたからだったと覚えています。STIR(short IR)法も当初からありました。しばらく経って、循環器病センターでは心臓の検査を患者に斜めに寝てもらって実施していると聞き、本院の装置は普通にoblique撮像ができるのにと思ったものです。
最初に使用方法を指導に来たのは、やたら爪の長いインド系の女性で、長い爪の先でウィンドウとレベルのつまみをキリキリ回すのにはまいりました。撮像条件を書いた薄い冊子を渡され、たいした条件決め研修もなく「ハイさようなら」でした。結果的にこれがよかったのですが、担当者3人が1日2時間ずつ人間ファントムになり、TE、TR、IRの信号強度の関係を徹底的にグラフに書きました。TEの最少は20msecでした。当時のこのことが、今後の各組織の信号強度を考える上での礎になったことは言うまでもありません。Gradient echo法についてもFlip角とTE、TRの関係からT2*になる条件とErnst角:エルンスト角(後になってこう呼ぶことを知った)を見つけていました。
ただ、この装置には自動チューニングがなく頭部ならテストRFパルスを照射して反射が最低(50Ω)になるようにコイル抵抗をコイル本体についているつまみをマニュアルで調整しなければなりませんでした。被写体の大きさによって大きく変化し、その職人芸が検査時間の長短に大きく影響したものでした。さらに表面コイルはオシロスコープで波形を見て調整するという代物でした(導入初期のみ)。今から考えると隔世の感がありますが、私にとっては貴重な体験です。その装置もMRAができないということで第一線から退きましたが、長らくSNRも低下せず頭部専用装置として活躍していました。
今や最新のGEの装置とPHILIPSの装置に囲まれて、どうやこうやと後ろから言うだけの存在になりましたが、このように現在までMRIの進歩に乗っかって歩んできたおかげで、得る知識も徐々で良かったのが私とって本当にラッキーでした。現在のように、30年の凝縮がMRI業務に携わった瞬間に提供されれば、到底ついていけていないように思います。今の技師さんは本当に優秀で感服いたします。
これまでMRIに関わるいろんな役周りを引き受けてきました。私の超個性的な言動に戸惑われた方もたくさんおられることと思います。MRIを愛する仲間は、みんな良い意味のライバルで仲良しであることが最高の自慢です。この輪の中に存在できたことに幸せを感じます。すばらしい後輩にバトンタッチできることを誇りに思います。
日本100名山を目指した山登り
これまで体力任せでスポーツをしてきました。それが唯一の自慢だったのですが、一昨年にソフトボールで肉離れを起こし、日本100名山を目指した山登りも91座で止まったままです。家にはじっとしておられない性格なので、休みの度に15,000歩を目標に北摂(大阪北部)を中心に街角に自然を見つけに回っています。まもなく一線を退きますので、それまでに体力回復とダイエットを達成し残った全国自然満喫の旅が楽しめるようにしておきたいものです。いつまでも若いと思っていたのに、歳いったものです。
次の人は・・・
次のバトンは札幌医科大学附属病院 放射線部の高島弘幸さんです。どうぞ宜しくお願いします。
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